2018年6月10日、とか、近況のこと

しばらく書いていなかった。RubyKaigi中ずっと書くぐらいの気持ちもあったのだけど、結局こんな感じ。RubyKaigiはすごく楽しくて、また行きたいと思った。Rubyと一口に言ってもたくさん話題があるので、いつまでも飽きなかった。

なんか最近更新が止まっていたのは、仕事でやることが結構あったりしてあんまり心に余裕が持てなかったり、自動水やり装置の作成を急ピッチで進めたせいだったりもあったが、直近2週間ぐらいは概ね別の原因があった。 ここに書くかどうか一瞬悩んだけどあんまり気にしない性格なので書いてしまうことにした。 先月の中頃に僕の友人が亡くなっていて、その訃報を5月30日に聞いていて、正直すごくショックだった。毎晩彼のことを考えていたと言って過言ではないだろう。 昨日それ関連の話を関係者で集まってして、彼を偲んだり讃えたりする機会についても話し合いがなされ、少し落ち着いたのでこうして日記を再開することにした。

彼の死についていろいろ思うところはあったが、他人に話すようなことでもなく、そういった場が持てたのは少し心を安らげることができたのだろうと思う。 僕はこういうショックなことを誰かと共有するということが基本的に嫌いというか、やらない人生を送ってきた。おそらく、自分の中で消化してしまうこと、よく考えることが大事だと思っていて、そこに他人の解釈だとか適当に取り繕った慰めとかが入ってくることをなんというか穢のように感じてしまうんだと思う。何かしら純然たる思いがあって、それを言葉にできる程度に昇華できることにだけ意味があると考えていて、それが感情の渦の領域を脱しないうちに適当な言葉が入ることを酷く嫌うという状況だろう。心配されたりとか、大丈夫?みたいな言葉はありがたい。もちろんそれはそうだけど、知ったようなことを言う人がたまにいるからとにかく口をつぐんでしまうんだと思う。今回も、昨日まではそうであったろうと思うし、もしかしたらまだそうなのかもしれない。

何がそれの最初だったのだろう。もう覚えていない。

彼との思い出はかけがえのないものであった、彼は僕に新しく価値観や知識を与えてくれる素晴らしい友人であったと断言できる。彼が生み出したものは僕が今まで生み出しているものよりはるかに価値が高いと思えるほど、創造性というか、誤解を恐れずに言えばコンテンツ力の高い人だった。何度も一緒に旅行に行って、一緒に飲みに行ったりもして、そのときに彼の悩みを聞いたりもした。昨日、彼やその友人と一緒に行くことがあった居酒屋に行った。行きつけといえないのは僕が単に外食をあんまりしないからなのだけど、多分居酒屋の行きつけ度でいうと一番高い。 そこの店主も当然彼を知っていて、少し話をした。ここまで書いておいて、まだ飲み込めていないんだなあなどと感じている。そんなものだろう。

ここからは今の話

Ergo42のPCBが思ったより早く届いた。キースイッチはまだHelix分も届いていない。まあ僕が住所を何故か一部だけ日本語でかくというトチ狂ったことをしたせいなんだけど。全部ならまあ分かるけど、なんで建物の名前だけカタカナで書いたかな。その上、ショップが休暇にはいり1週間ほど手続きが止まってた。多分明日ぐらいには、動いてくれると思う。多分。 会社で苔のワークショップを開くことを企てていて、そのためにギンゴケを購入した。まだ手元にはないけど結構な量あるはず。ギンゴケはやたら頑丈な苔なので、すぐ枯れるとかそういうのはないはずだけど、あんまり緑々してないんだよなとか。 若干、ワークショップを開くことについて「え。本気だったの?」みたいになったらどうしようみたいな気持ちはあるけど、まあ誰も来なかったらそのときは僕が展示物になるので気にしない。