2018年3月5日 博識な天文学者の講義を聞いたとき

今日は書き忘れる自身があったのでこの時間に書く。

ずっとDockerfileとdocker-compose.ymlを書いてた。Dockerについての理解がいかに雰囲気であるか思い知らされた。まだまだやりたいことが成就せず、難しいなあと思う。 題名にも書いたけど、最近博識な天文学者の講義を聞いたときという詩を知った。訳によって題名や中身は違うかもしれないけど、日本語だとだいたいこんな感じ。

博学な天文学者の講義を聴いたとき、
証明や数字が列をなして私の前に並べられ、図表や図形を見せられて、
それを足したり、割ったり、測ったりされたとき、
天文学者が大喝采を浴びながら講義堂で講義するのを席に座って聞いたとき、
なんとまあ早々と私はやみくもに疲れを覚え、不快な思いに襲われたことか、
ついに私は席を立ち、人知れず外に出て、神秘な夜の湿った空気のなかを、
たった一人でひっそりとさまよい、そしてときおり、
深い沈黙の底から星を見上げた。

全文覚えてはなかったのでここから引用させてもらった。

博学な天文学者の講義を聴いたとき / ウォルト・ホイットマン : 山の魔女

要するに、博学で賞賛をうけている人物の言うことをただ聞くことはそれを知ったことにあらず、体験することこそ誠にそれを知ったことになる。ということらしい。 最初はしっくり来なくて、これは僕が「知った上でそれを数式で表すことが美しいんでは」と元も子もないことを思ってしまったからだった。感受性の違いです。 でも、知っててもやらないと身につかないというのは往々にしてあるし、僕も何度も体験してる。天文学のようなスケールの大きなものもきっとそうだろう。 推測するな、計測せよという言葉もあるように、実際にやってもいないのにある現象から他のことを推測することで正しい結果が得られるとも限らない、机上の空論ということでもあるのかもしれない。 その辺を色々あって理解できてよかったと思う。博識であってもやってないと身につかないなら、博識でない僕はなおのことやるに限る。

あとはご飯を食べて、Let's Splitのファームを書き換えたりする予定。元気が残っていれば。